ウルトラマンデッカー第2話「決意のカナタ」感想

ウルトラマンデッカー第2話感想

シン・ウルトラマン」(2022年)でウルトラマンにハマった自分が、生まれて初めてリアルタイムで追うウルトラシリーズ、『ウルトラマンデッカー』。
今回は、第2話「決意のカナタ」の感想を記録する。

ウルトラマンに変身できない主人公

第1話から時間が飛んで、一年後の世界から物語はスタート。
民間人だった主人公のアスミ・カナタは、地球平和同盟(TPU)訓練校に入学し、日々トレーニングに励んでいる。

だがこの間、主人公のカナタは一度もウルトラマンに変身できていないというから驚いた。ええ!?一年あったのに!?

というのも、シン・ウルトラマンはじめ、仮面ライダーやプリキュアやセーラームーンなど、私が今まで見たことがある変身系の作品では、主人公が変身道具のスイッチを押せばすぐに変身できたし、変身解除もわりと自由にできていたからだ。

たとえ変身できないことがあったとしても、それは変身するための道具が壊れたり、敵にパワーを封じられたりといった外的な要因が多かったように思う。

しかし、カナタは全然変身できないという。
私は未履修だが、『ウルトラマンZ』(2020年)でも、主人公は最初のころ思うように変身できなかったらしい。

そんな…どうして…望むなら強く応えてくれるのではないのか…?

赤い血色の電撃が示す、怪獣という存在の異質さ

主役メンバーのカナタ、イチカ、リュウモンはスリーマンセルとなり、行軍訓練をおこなう。
ところが、アクシデントでカナタが左足を負傷。
訓練リタイアをしようとするリュウモンと諦めたくないカナタが感情的に衝突し、険悪な雰囲気に包まれる。

そんな中、破壊暴竜デスドラゴが岩山の中から登場!すごい暴れん坊な名前だな!
なんでそんなあっちこっちから怪獣が出てくるんだ地球!人類に対する地球の怒りだというのか!?

民間人や候補生たちのピンチを前に、ムラホシ隊長が戦闘機で出撃し、デスドラゴの角を破壊する。
このデスドラゴの角が折れたところから、血の色をした電気がほとばしるのがすごくよかった。
赤い血や、人外で見かける緑や青い血がしたたるのではなく、それ以外のもので身体が構成されていることが伝わるので。

『小学館版 学習まんが人物館 円谷英二』(小学館 1996年)で読んだ「子どもに残酷な場面を見せるな」といって怪獣の血を緑にしたという円谷英二のエピソードを思い出し、笑顔になった。

…と思ったらなんかこの「赤い血」エピソード、事実と噂とで情報が錯綜しているっぽいじゃないですか!ウルトラセブンでは普通に赤い流血シーンがあるっぽいし。もー!

心が読めないウルトラマンデッカー

怪獣は暴れ止まず、カナタたちをかばって攻撃を受けた戦闘機ファルコンも墜落。
いよいよピンチになったところで、ついに主人公がウルトラマンデッカーに変身する。

実に一年ぶりの変身成功である。
主人公の中で、いったいデッカーは何を考えていたのだろう。
ウルトラマンデッカーは地球の言葉をまったくしゃべらないため、どんなキャラクターなのかさっぱりわからない。

初代ウルトラマンでさえ、主人公ハヤタと邂逅したときは「ヘッヘッヘッ… シンパイスルコトハナイ」と「ワレワレハウチュウジンダ」みたいな怪しい日本語でしゃべっていたというのに。

ウルトラマンに変身できても、怪我は治らないんですか!?

巨人にはなれたものの、左足の負傷で明らかに戦いは劣勢。

ええ!?ウルトラマンに変身できても、人間体の怪我の状態を引っ張っちゃうんですか!?

白状すると、私はデッカーを「グロ描写のない進撃の巨人」として見ているところがある。
今のところストーリーラインが似ているので、個人的に話が飲み込みやすいのだ。

ただ、進撃の主人公エレンは巨人になることで怪我が治るが、カナタは巨人になっても足が治らない。
そう都合よく状況は好転しない。 

人間がウルトラマンになれても、それだけで完全無欠のヒーローになれるわけではないところに、リアルな厳しさを感じた。

ウルトラマン!新しいアイテよ!(カード)

カナタの戦況を見かねたのか、デッカー(思念)が新しいアイテムを出してくれる。
その名も「怪獣カード」!これもバンダイから出るんですか?

“ウルトラマンデッカーは怪獣ミクラスをくりだした!”

何!?ウルトラマンは怪獣を使役できるの!?ポケモン!
ウルモン!?ウルトラモンスター!?(※ディメンション怪獣です)

なお私が「ポケモンだ!」とTwitterで騒いでいたところ、特撮の先輩から「ポケモンはウルトラセブンのカプセル怪獣が元ネタですよ」と親切に教えていただいた。
し、知らなかった…!

ググってみると、確かにゲームクリエイター・田尻智氏がカプセル怪獣から影響を受けたというインタビュー記事画像がヒットした。
ポケモンは「虫取り」がヒントだったと子どもの頃に何かで読んだが、ウルトラセブンからも着想を得ていたことは、大人になって初めて知った。

カプセル怪獣は、ポケットモンスターのほかにも、ドラゴンボールやダイの大冒険にもつながっているらしい。
ウルトラシリーズは、後世の作品にこんなにも影響を与えていたんですね。

怪獣プロレスではなく傷ついた人々を見せてくるデッカー

制作陣が優先して見せたいのがおそらく怪獣プロレスではないので、民間人が襲撃のせいで怪我してしまう姿をしっかり見せてくるのが、なかなかしんどい気持ちになった。

私の大好きな映画「パシフィック・リム」(2013年)や「シン・ウルトラマン」(2022年)は、怪獣が現れるとすぐに民間人を戦いのリング上から退避させるので、観客は「誰かが足元で踏み潰される〜」みたいなストレスなく怪獣プロレスに集中できるわけだが、ウルトラマンデッカーはそういう見せ方ではない。

災害に襲われた人々はみんな苦しんでいるし、とても痛そうで、見ていて悲しい。
だからこそ、主人公たちの悲壮ともいえる決意が際立つ。

主人公たちは軍人なので、厳しい訓練を積むし、敵が来たら戦って倒すか退け、戦う力を持たない民間人の命を守るのが仕事となる。
仮面ライダーやスーパー戦隊とはまた違った緊張感があるな…と思いながらウルトラマンデッカーを見ていた。

ウルトラマンをネガティブに見ている身内の存在

キャラクターとしてやはり気になるのは、主人公たちの上司であるムラホシ隊長だ。
初代ウルトラマンでいえば、ムラマツキャップにあたる人物だろう。

ムラホシ隊長は、いざとなると身を挺して他人を守るような強くて優しい人物だが、どう見てもウルトラマンに好意的な感情を持っていない。

主人公やその周りはもちろん、視聴者も含めて「ウルトラマンは私たちの味方。親愛なる優しい友人。愛するヒーロー」という感覚を持っているため、主人公サイドの”良い人”に「ウルトラマンをネガティブに見ている人間がいる」というのは新鮮に感じた。

これからどう描かれるのか、非常に楽しみなキャラクターだ。

やらなきゃいけないと思うから、やらずにはいられないからやる

「自信があるからやるんじゃないよ。やらなきゃいけないと思うから、やらずにはいられないからやるんだよ」

第2話で最も印象に残ったのが、争うカナタとリュウモンの間に入ったイチカが言った上記のセリフだ。

デッカーでは、「やる」に関連したセリフが次々と出てくる。
「やらなきゃいけない」
「やらずにはいられない」
「やるしかない」
「やるべきことをやろう」
などなど、デッカー第2話はとにかく「やる」がフォーカスされた印象を持つ。
デッカーのDはもちろんDeckerのDだが、「DO」のDといってもよさそうなほどだ。

「自信があるからやるんじゃないよ。やらなきゃいけないと思うから、やらずにはいられないからやるんだよ」

イチカのセリフは、デッカーがどういうウルトラマンなのか、主人公たちがどういう人間なのか、この先どういう物語になるのかを示しているのかもしれない。

「やるしかない」
これは、追い詰められた人間が言うセリフだ。
他の逃げ道や選択肢がなくなって、いよいよ覚悟を決めないといけなくなったとき、口から出てくる。
実際、ピンチに追い込まれた主人公のカナタが「やるしかねぇ!今、やるしかねぇんだ!」と叫び、そして変身する。

人間がギリギリまで頑張って踏ん張って、それでもどうにもならなくなったときに初めてウルトラマンが応えてくれる、というのが「ヒーローになるっていうのは、そんなに甘いものじゃない」という厳しさを感じられてよかった。

都合よくいかないストーリーの真摯さ

ウルトラマンデッカーは、何事も都合よく進んでくれない。

主人公はなかなかウルトラマンに変身できない。
超人になれても怪我は治らない。
謎のバリアが地球を覆っているため、外から他のウルトラ戦士も助けにきてくれない。

「都合よくいかない」

製作陣が意識しているのかは定かでないが、私は第1話と第2話から、この「都合よくいかない」というメッセージを妙に強く受け取った。
私自身が、常日頃からこの意識があるからだろう。

ビギナーズラックがはたらくこともあるが、大抵のことは、いざ一大決心してやってみても、うまくいかないことのほうが多い。
うまくいったとすれば、それは周りの人々が気を遣ってくれたか、自分の過去からの積み上げがあるからだ。
すべてがゼロで、都合よくいくことは現実ではありえない。
フィクションだからといって、なんの苦もなくコトがうまく運んでしまったら、興醒めもいいところだ。

また、人間の脳は物語を見聞きすることで、未来に起こるかもしれない問題への心構えをしているという話を聞いたことがある。
夢に溺れたいわけではない、現実を乗り越えたいから、だから物語を望むのだと。

そういった意味でも、都合のよさを排除した脚本は、一つの真摯さだと思う。

そんなことをつらつら考えたウルトラマンデッカー第2話であった。
第3話も楽しみだ。